《生まれ》
大阪市生まれ。
《幼少期》
2歳半でピアノを始めます。きれいな先生は私の憧れ。先生の言うとおりにコツコツ、レッスンを受けました。
小5になってスイミングも始めます。
ピアノとスイミング、この2つを私はずっと黙々と続けます。
《大学》
「ピアノは年をとっても弾ける」という理由で、天理大学の体育学部に推薦で入学。
ひたすら泳ぐ日々を送ります。
《就職・結婚》
卒業後、YMCAに就職。その3年後に結婚し、3人の男の子を出産。
《ピアノ教室》
30歳の時、三男が幼稚園に入ったタイミングで
友人から「うちの子にピアノを教えて」と頼まれたのを機にピアノを再開。
ピアノ教室を開きます。
ある時幼稚園でピアノをじっと見ているだけの自閉症の男の子が。
私には「やりたそう」に見え、のちに発達障がいの子に初めて関わります。
ところが話をしても通じない、走り回る、機嫌が悪いと暴れて扇風機を壊すなど
「これはいったい…?」と泣きたくなりながらレッスンをスタート。
しかし泣きたいのはこの子のほうかもしれないとハッとさせられます。
《障がい児教育》
これを機に発達障がいについて学ぼうと講座やセミナーに通い、
学会にも入って学びを深めましたが、やはり実践が重要だと思い、
東大阪障がい児施設はばたき園にボランティアで保育に参加させてもらいます。
そこで音楽の授業を1年間勤めます。最初は全く意思の疎通ができなかった、
子どもたちだったがやがては一緒にリズム打ちをするようになる。
得意な体を動かすことも取り入れると、どんどんやりがいを感じるようになります。
《特別支援学級教員免許取得》
自宅でピアノ教室を開きながら、もう少し現場も知りたいと思い、佛教大学の特別支援学級の教員免許を取得。
ついに特別支援学校の非常勤講師として学校現場へも参入。
発達障がい児や肢体不自由児などと積極的に関わります。
《ピアノの先生の悩みを聞く》
その後、個人のピアノ教室ではますます障害児指導に力を入れ出すと、ヤマハの先生から指導の相談を受けるようになります。
いつのまにか発達障害児だけではなく、聴覚障害や知的障害、グレーゾーンや重度肢体不自由児、場面緘黙など
300名近い生徒と接するようになっていました。
こうして300人近くの子供と接し、そのお母さんとも悩みを共有するようになりますます、この経験を
発達障害児を指導する先生たちにもお伝えしたいと思うようになり、子どもたちも多くの先生の元に通えるようになれば良いなと思う。
こうしてピアノの先生に
“ゆきねえ先生の発達凸凹ちゃんのピアノレッスン指導法”を開始します。
障害児の指導で悩む先生へ
発達障がいのお子さんを指導する先生から
レッスンについて悩む声をたくさん聞いてきました。
私の経験が少しでもお役に立てばという思いから、
このセッションの場を作りました。
おそらく音楽大学出身の先生たちは演奏技術を高めたり、歴史を学ぶことはあっても”障害児の指導方法”は教わっていないと思います。
いくいらなんでも教わっていないことを教えるって無理がありますよね?
なので”出来なくて当たり前”なのです。
だって知らないんですから・・・・
そういう私も最初からうまくいった訳ではありません。
走りまわっている子どもを追いかけて終わったり
なんで、わかってくれないの?と途方に暮れることばかりでした。
そんな私と子どもたちのレッスンも30年も経つと
「○○の時はこうだな」というのが見えてきました。
少しでも先生のお役に立てれば・・
完璧なレッスンなんてありません。
どうぞお気軽にフォームからご連絡ください。